バリーオッさんとTOEIC900の呪縛

100の記事をまず書く。100万文字。語学、育児、家事、料理、音楽、Netflix、僕というダメ人間は、書くということでマインドセットをしてきた。あえて日常に起こるちょっとしたストレスをボケたり突っ込んだりすることで、自分の気持ちが軽くなる。ダイハードのマクレーン刑事や、フルメタルジャケットのジョーカーのように、どんな状況でも笑い飛ばせる人間でありたいと小学四年生から変わらないモットー。

幸せ過ぎて恐いってやつ

かえる池と呼ばれる人口池のある公園の隣にある賃貸の団地に住んでいる。

公園が、自分達の庭だと低所得層なりに都合の良いポジティブな考えで、骨の髄までしゃぶる勢いで、子供達と公園で遊んでいる。

 

今年5歳になる息子は、運動好きでも冒険家でもないが、口は達者で仮面ライダーや戦隊モノと折り紙が好きだ。そして虫や小さな生き物に異常に興味を持つ。

 

小学生に入ったばかりの姉は、病気がちだが冒険家で、運動センスはないが異常に努力家で、男の子と気があうが、オシャレにも興味がある女の子だ。

 

幸せ過ぎて怖いとか、古い恋愛ドラマで幸せの絶頂を感じたヒロインが突然泣き出して抜かすのはよくあるパターンだが、

私もふとそんなことを思った。死期が近づいているのかと、勘ぐる。

 

今年に入り3月頃から、たちこめる暗雲のようにツチガエルの卵が、池を覆っていた。

 

4月にはいると、孵化したオタマジャクシ群が巨大な生き物のように、池の中を動いていた。余りの数に身震いする。

 

子供達をカエル池に連れて行くとえらい興奮状態に即刻おちいり、捕まえたいと一歩も引かない。説き伏せる時間があれば、半刻でもやらせた方が良いというのは経験則でわかる。

 

使っていない金魚用の小さな網があるのを思い出し、実家に捕獲グッズを取りに行った。

数十分後にフル装備の子供たちは、カエル池に蛮声をあげながら舞い戻り、虫かごやプラスチックのイチゴの空き箱に、オタマジャクシをすくいまくった。

私はマッドマックス怒りのロードを想起する。箱の中はさながら気のふれた店主が作ったタピオカミルクティー。

よくよく見ると反吐が出そうになる。止めどないキャッチアンドリリース。他にも近所の子供達は各々のツールで、工夫しながら漁を楽しんでいる。

オタマジャクシをすくい、ケースに溜め、その数に恍惚とし、惜しみつつも池に帰す。娘と息子は何時間も、飽きずに毎週繰り返した。

私はただその集中力に脱帽ししつこさに辟易した。罪のないオタマジャクシは狂った幼子達に、なんども捕獲される。生きることの難しさに打ちひしがれていたことだろう。私は芝生に寝転び、何時間ものあいだ子供を眺めていたことになる。

 

5月になると、オタマジャクシに足が生え、

6月になると夥しい子ガエルが池のほとりに集ってきた。子供たちは手づかみで子ガエルを虫かごに集めた。

6月の半ばになると何千といた子ガエル達が

忽然と池から姿を消した。

自然淘汰されたのだろうか。

あれだけの数が親ガエルになったら、

公園は阿鼻叫喚の地獄と化す。ホラーすぎる。自然が間引いてくれてるのだろう。公園の管理人がコントロールしているのかもしれない。そんなことをふと思ったが、釈然としない。こんなに急にいなくなるものなのか。

 

6月の終わり頃、息子と娘に手を引っ張られ、かえる池にいくと、やっぱりカエル達は消えたまま。干からびた子ガエル以外は池には見当たらなかった。

すると娘と息子は、芝生の奥に私を連れて行き、しゃがみ込むと、父ちゃんカエルはコッチにうつってきたんだよ!と言った。

私もしゃがんで見ると、少し大きく茶色くなった子ガエルが芝生や雑草の間にピョコピョコ跳ねている。

ツチガエルだから土のあるとこにいるって、

保育園でお友達が言ってたもん。

私の脳のモヤが消えていった。

子供たちに教えられることも増えてきたなと私は思った。

7月になると、沢山の親ガエル達が、夜公園の植え込みから植え込みへ歩道を横断しているのを見かけるようになる。

夜ランニングすると、気付かずに蹴飛ばしてしまうこともある。

夜お風呂上がったら、観察に行って来なよと妻が言うので、子供たちを連れて行った。

買い物袋を一枚用意し手袋の代わりにして、出くわしたまるまる太ったツチガエルをつかまえて、子供たちに見せると、子供たちは目を輝かせ興奮した。

買い物袋を渡して捕まえてみろというと、勇気のある姉が、ビクビクしながらも、何匹かに逃げられついには大きなカエルを捕まえた。

娘は一皮向けたような誇らしげな顔を見せた。

負けていられない臆病な息子も、意を決して少し小ぶりなカエルを捕まえた。

終始二人は笑顔や恐怖や歓喜の波を繰り返し、帰ろうといってもなかなか言うことを聞かなかった。私は突然降ってきた雨に助けられた思いだった。雨に打たれて走って家に帰った。武功を挙げた兵士たいった顔で姉と弟は満足げに走っていた。

 

途中で水たまりに足をつっこんだ娘は2度目の風呂に入り、風呂の中で母親に武勇伝を鼻息荒く語っている。同時に息子も風呂の外からドア越しに母親にカエルの詳細を伝えている。

子供と遊ぶことなど日常なのに、私はその夜のことが、すごく幸せだと感じた。

当たり前のことが、何故か感動的に思えた。

そして、当たり前のことと、噛みしめることなく過ごしていた日常が余りに多くなっていたことに、狼狽えた。感謝すべきことが山程あるのに、見過ごす。気を配っていたつもりでも、感情が鈍化している。疲れていたのだろうか。

 

布団の上でこんなに幸せなら何か嫌なことが起こるのかもしれないと、塞翁のようなことを考えて、怖くなった。

 

寝息をかいている息子の腹を撫でて、信心深く、でっち上げた特定の神ではない何かに、

感謝のような、はたまた、もう少しこの子達を見守らせて下さいという、被害妄想的な命乞いのような祈りを捧げて眠りについた。

 

翌日は、靴の空き箱に集めると言い出し、恐ろしいことになった。

幸せ過ぎて恐い。

 

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